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全国に名を馳せた小さな本屋  小林書店(兵庫県尼崎市)が72年の歴史に幕 奮闘ぶりがドキュメンタリー映画や小説のモデルに

「華々しくシャッターを下ろしたい」と笑顔で語る由美子さん

生まれ変わってもまたお父さんと本屋をやりたい!

 兵庫県尼崎市の下町、立花商店街で小林昌弘さん由美子さん夫婦が営む約10坪の小林書店。同店をモデルにした小説や、奮闘ぶりを追ったドキュメンタリー映画も制作されるなど幾多の伝説を持つ店として知られる。小林書店が5月31日をもって閉店することになり、惜しむ業界関係者や同店のファンが連日来店し、思い出話に花を咲かせている。中には「本を読んだ」と初めて来店し、由美子さんにサインを求める姿も見られた。由美子さんは「長年の夢、『店を閉めるときは紅白の幕を張って、みんなに振る舞い酒をして華々しくシャッターを下ろしたい』が叶えられる」と、最後まで「小林書店らしさ」を貫き閉店日を迎えようとしている。

継ぐ気はなかった

 由美子さんの両親が1952年に兵庫県尼崎市で創業。戦後復興過程の真っ只中、小学校低学年だった由美子さんは「まだ白装束の傷痍軍人さんもたくさんいた時代、本屋だけじゃなく商売人はみんな朝6時には店を開けて夜遅くまで一日も休まず商いをしていた。親はいつ寝てるんだろう、商売はしたくないとずっと思っていた」と当時を振り返る。

 22歳のとき大手ガラスメーカーに勤める昌弘さんと結婚。子どもも生まれ、平穏に暮らしていたが、昌弘さんに関東への転勤辞令が出た。そのとき昌弘さんから出た言葉は「会社を辞めるから本屋を継ごう」。由美子さんは「親も『継いでほしい』と言ったことがなかったので驚いた。でもお父さん(昌弘さん)は家族みんなのことを考えてのこと。戸惑いはあったけど頑張ってみようと決断した」と後継者の道を選んだ。

 そこから由美子さんは持ち前のバイタリティで、出版社の「全集」など大型企画では大手書店を凌駕する予約数を獲得。阪神・淡路大震災で店が半壊した際、雑誌で目にした傘メーカー社長の考えに感銘し、傘を直接仕入れ、あらゆる場に売りに出向いて短期間で数百本を販売、見事に店を立て直すなど数々の伝説を生み出していく。

「コバショ」として地元に愛された小林書店

小さな本屋は全国区に

 震災では店舗片側の壁が落ちて大きな穴が開いた。ガラスも割れ、全商品落下。本震直後、茫然と床に座り込む由美子さんに向かって昌弘さんは「公衆電話で日販に電話してほしい。心配しているはず。一軒でも心配を取り除くのが取引している者の務めや」と指示する。

 由美子さんは「わかった!」と飛び出し、長蛇の公衆電話に並んだ。「電話に出た日販の人も驚いていたけど安心してくれた。父親も亡くなる直前まで『取次への支払い大丈夫か』と気にしていたけど、娘の私より『取引先に迷惑を掛けない』という意志を受け継ぎいろんな大切なことを教えてくれている」と昌弘さんを敬う。

 由美子さんは店頭、外商問わず天性の提案力で売り上げを伸ばした。「小さな店でベストセラーはほとんど置いていないけど、私が読んで面白いと思える本はたくさんある。お客さんが喜ぶ顔を浮かべて本を薦める」と極意を語る。

 地元では「コバショ」と呼ばれ、ビブリオバトルやセミナー、ワークショップなどを催し、地域住民の「居場所」として賑わいを見せている。

 自店のことのみならず、出版界の活性化も常に願う。商談会の先駆けとも言われる関西日販会「パンパク」の仕掛け人メンバー。「無心になることが仕事にもプラスになる」と、出版社、販売会社社員らも参加したよさこいチーム「本や連」を結成し、各イベントで踊りを披露するなど業界の盛り上げに貢献した。

 「小林書店」の名は全国に広がり、大震災も夫婦力を合わせて乗り越えたが、2019年、昌弘さんが脳梗塞で倒れた。医師からは「一生、車椅子生活」と言われ、由美子さんは廃業も覚悟した。しかし、懸命にリハビリに励み、杖をつきながらも4カ月で復帰。それからは週に1日は店休日を設け、長女、長男も自分の仕事の合間を縫って手伝うようになった。

『仕事で大切なことはすべて尼崎の小さな本屋で学んだ』

異例! 小説のモデルに

 湘南ストーリーブランディング研究所代表の川上徹也氏が当初12年刊の『本屋さんで本当にあった心温まる物語』(あさ出版)に小林書店にも登場してもらう予定だった。しかし、川上氏は「小林書店だけで一冊の本にしたい」と思いを強くし、20年、販売会社の新入社員を主人公に、小林書店をモデルにした『仕事で大切なことはすべて尼崎の小さな本屋で学んだ』(ポプラ社)が誕生した。

 由美子さんのもとには多方面から講演や対談依頼があったが、当初は「人前で話すことなんてできない」と断ってきた。60歳になって初めて講演を引き受けることに。小林書店を追ったドキュメンタリー映画「まちの本屋」の監督、大小田直貴氏も「東京で由美子さんが登壇した座談会を聞いて感銘した」と突然、尼崎までやって来て、3年の間、何も言わず店に通い、映画化に結びついた。

 あるときは「本を読んだ」という大手百貨店の店長が小林書店に訪れ、「外商部員たちに講演してほしい」といった依頼もあった。由美子さんは困惑したが、相手は「部員には百貨店の看板で仕事をするのではなく、由美子さんのように一人ひとりが店主の気持ちでお客様に提案してほしい」と説得され、約100人の前で講演した。後日、訪れた百貨店担当者によると外商部員の意識が大きく変化したという。

命懸けで売る誠意

 『仕事で大切なこと―』は講演会場での販売や、社会人セミナーの講師が教材に使うなど各方面で需要があり、小林書店だけで累計2200冊という驚異的な販売部数を記録している。

 由美子さんは商売に大切なこととして「『売りたい』だけではダメ。これを買ったらお客さんにとって何がプラスなのかしっかり説明できないと。私が取り組んだ傘もそう。社員たちが命懸けで作った商品を私たちも命懸けで売らないとお客さんにも仕入れ先にも申し訳ない」と話す。

 昌弘さんが脳梗塞で倒れてから配達業務は由美子さんが担っていたが、由美子さんも長年の重労働と年齢面も重なり、腰を悪くし、仕事に支障をきたすようになった。

 配達が収益の柱だったが、やむを得ず配達業務を廃止しようとした矢先に親交のある、町おこし・地域活性化策などを手掛ける男性が無償での手伝いを名乗り出た。男性の呼びかけで協力者8人が集結し、数十件の配達を手分けしたエピソードもある。

 多くの応援団に囲まれる由美子さんだが、体力の限界を感じ、閉店を決断した。

閉店時の夢が実現

 最終日の密着など多くのメディアから取材の申し込みがあるというが、由美子さんは「うちのことをよく知らないのに『小さな店が頑張りましたね』だけの取材は断っている」と話す。「著者が構想から8年もかけて書いてくれた本は最低でも読んでいてほしい。大小田さんもカメラを回す覚悟があるか自分自身に問うため3年も通いつめて映画にしてもらった。それを最終日だけ取材されるのは何十年と当店を支えてくれた人たちに失礼」と理由を語る。

 周囲に「店を閉めるときは紅白の幕を張って振る舞い酒をしたい」と話していたことで、「願いを叶えてあげたい」と同店の支援者から2つの樽酒が届くことになっている。

 取材の最後に本屋人生を振り返り「『昔は良かった』なんて言う人がいるけど、まったく思わない。両親も支払いに四苦八苦するなど商売って本当に大変。でも私はお父さんや周りの人たちのおかげで『楽しかった』と言える。しんどいけど生まれ変わってもまたお父さんと本屋をやりたい」と最後まで由美子スマイルは健在だった。

【堀雅視】

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