一切の遠慮を省こうと思う。私には三つの観点がある。まず一つ目は「書店は本当に救われるべきか」ということ。私個人としては出版を守ることは、教育、文化の未来に必要だと考えている。が、世には様々な業種が存在し、それぞれに守ろうとしている方も多い。業というものは、歴史と共に盛衰するものである。例えば昭和の文化の一つであった活動弁士という業は恐らくもう存在していない。出版も、書店も、歴史と共に消滅する業ではないか。何故、お前たちだけが支援されるのかと厳しい言葉を浴びせられても不思議ではない。今これを論じることは本題とは逸れる。ただ、我々は常に根本を忘れてはならない。
二つ目は「出版業の中で書店だけが救われるべきか」ということ。実際は苦しんでいるのは書店だけではない。出版社も、物流を担う取次も、深刻な状況である。出版社は過去最高益を上げる大手がある一方、給料の支払いにも困窮する零細もある。実は書店に関しても同じで、敢えて下世話な言い方をすれば、儲かっている書店も存在しているのだ。取次はさらに絶望的といってよく、元来の物流では多大な赤字を出し、他業種に進出して穴埋めしようとしているのが現状。つまり書店だけが苦しいのではない。大手がまだ益を上げており、中小零細が悲鳴を上げている傾向にある。
そして最後、「書店を一括りにしてよいのか」と、いうこと。先述のように大手を中心に利益を上げている書店もある。大手、中小、零細、十把一絡げにした支援で、果たしてよいのかという疑問がある。すでに資金は枯渇し、融資も受けられない書店も多く、事業再構築補助金のような建付けだと、申請するのは大手ばかりということにもなりかねない。
しかし、さらに重要なことがある。この国には、店を開いていないのに黒字を出している書店が存在しているということ。首を捻る方も多いだろう。端的に言えば既得権益である。最も分かりやすいのが教科書販売である。一年に一度、教科書を販売するだけで、他は一切店を開けない。それで黒字、あるいは役員報酬を高くして赤字にする。そのような書店がかなり存在している。教科書は生徒が紛失したならば、たとえ一冊でも最速で届けなければならないという大変さはある。とはいえ、これも「町の書店」なのだ。教科書販売の指定は各都道府県、市町村によって違う。かなり玉虫色な地域も存在する。往々にして、業歴が長い書店が多い。経営者の平均年齢も極めて高い。春だけアルバイトを雇って教科書を販売し、あとは悠々と年金の足しに――。そうしたケースもかなり存在するのである。
果たしてこれも「支援先」になるか。原資は税金である。平等なものでなければならないし、それによって生まれた「利」や「便」は多くの国民が享受出来ねばならない。
一件ずつ厳密に精査していく必要がある。難しいというのならば、ベターなのは物流への資金投下だと考える。2024年問題もあり物流費は高騰する一方。書店に並ぶべき雑誌はおろか、いずれは本さえも届かなくなることになりかねない。一例として出版社が共同で使える巨大倉庫でもあれば、本の価格を若干でも下げることも、書店の粗利をたとえ0.5%でも増やせるかもしれない。
今では必要不可欠となったインターネットでの書籍販売。かなり遅まきではあるものの、零細書店でもこれに食い込んでいける仕組みを作るということも有り得る。ここはかなりのボリュームがあり、例えシェアの2,3%でも確保出来れば、一店舗あたり数万円の利益を生む可能性がある。
商流の上の方への支援が、出版社、取次、書店問わず、大手中小零細問わず、限りなく平等であり、皆様の利便にも繋がる効果が期待出来ると考えている。
歴史小説・時代小説家、書店経営者
今村翔吾氏
1984年京都府生まれ。滋賀県在住。ダンスインストラクター、作曲家、守山市埋蔵文化財調査員を経て作家デビュー。2016年「狐の城」で第23回九州さが大衆文学賞大賞・笹沢左保賞を受賞。デビュー作『火喰鳥羽州ぼろ鳶組』(祥伝社文庫)で18年、第7回歴史時代作家クラブ・文庫書き下ろし新人賞を受賞。22年『塞王の楯』(集英社)で第166回直木三十五賞受賞。 若者に読書や言葉の大切さを伝えることなどを目的とした一般社団法人ホンミライの代表理事であり、2021年に大阪府箕面市の書店「きのしたブックセンター」の事業継承を皮切りに、佐賀県佐賀市の「佐賀之書店」、東京・千代田区のシェア型書店「ほんまる」のオーナーを務める。
コメント