英国庶民たちの生活讃歌!
名曲にのせて描く「おっさん」たちの日常
6月初旬刊行のブレイディみかこさんによる待望の新刊『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』は、イギリスの労働者階級の「おっさん」たちを描いたルポルタージュ・エッセイだ。EU離脱(ブレグジット)や緊縮財政などによる家族との不和や離婚、肥満や飲酒などの健康事情や生活習慣など、「おっさん」たちのリアルな日常や悲哀を、ユーモアを交えながら描くことで、英国が抱える諸問題をミクロな視点で浮き彫りにする。今回、ブレイディさんに英国の愛すべき「おっさん」事情や、本作への思いについて話を聞いた(聞き手 山口高範)
『ぼくはイエロー…』と表裏一体
本作のきっかけは、ブレイディさんのデビュー作を復刊させた編集者からの「意表を突かれた」執筆依頼だったという。
筑摩書房の担当編集者から、「おっさんを書いてください」というリクエストをいただいたんです。彼女は、私のデビュー作で10年以上絶版になっていた『花の命はノー・フューチャー』を文庫として復刊してくれた人ですが、その中にいくつかおっさんを主人公にして書いたエッセイがあり、それらを「いい」と言ってくれて。当時、私の作品では『子どもたちの階級闘争』がよく知られていたので、「子どもについて書いてください」というお話はよくいただいていたんですが、「おっさん」という依頼は初めてだったので、なんか意表を突かれて、気がついたらもう書き始めていました(笑)。
あとがきでも触れていますが、本作は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』とコインの表と裏の関係にあります。どちらも同時期に連載をしていたので、同じ時期の英国の動向やムードを「少年」側と「おっさん」側、それぞれの視点から描かれていると思います。
老いも若きも庶民は庶民
本作に登場する「おっさん」たちはその「ダメさ加減」の一方、どこか愛らしく、憎めない存在として描かれている。彼らを「悪」とする風潮を、「有害」だとブレイディさんは言う。
人生の苦みも淀みも知っているところが、「おっさん」のいいところじゃないかな。うちは息子がローティーンなので、澄んだきらきらした正義感に満ちた瞳でいろんなことを聞いて来られると、たまにはおっさんの濁った瞳というか、「清濁併せ呑む」みたいな感じが恋しくなります(笑)。
もちろん「おっさん」には、女性に対する態度や見解など、賛成できないところもたくさんある。うちにも「おっさん」が一人いますから、揉めない日はないですし。でも、あの人たちの人生って、英国の過去半世紀の歴史なんです。過去があって今があり、未来がある。それに「彼らが諸悪の根源」的イメージの流布は、無駄な世代間対立を煽るために使われているのかもしれず、それは「有害」だと私は思う。庶民同士が若いか年寄りかで対立したって世の中変わらないですから。「共にやるべきことは他にあるんじゃないか」という想いは、この本の下敷きになっていると思います。
ブレグジッドや緊縮財政など、切実かつシリアスなテーマを扱いつつも、作品全体に通底する底抜けた「明るさ」がある。
「ブレグジットの衝撃!」とか、「EU崩壊の危機!」とか、シリアスに眉間に皺を寄せて切迫したジャーナリズムな文体で語る本はたくさんありますが、そうじゃなくて、肩の力を抜いて、ぶっちゃけた庶民目線からブレグジットを書いた本があってもいいんじゃないかと思って。
実際、庶民にとっては、ブレグジットなんて、そんなに毎日「衝撃!」とか「危機!」であろうはずがなく、仕事に行ったり、失業したり、酒を飲んだり、恋をしたり、いろいろ地べたの人生模様が平行して続いているわけで、その中にはもちろん笑いもあるし。明るさがあるとすれば、それは日常の中にある「庶民の生命力」を描いているからなのかもしれないですね。
コロナ禍で「日常」を支える者たち
全国規模のロックダウンなど、英国でも新型コロナウイルスの影響は甚大だ。
「おっさん」たちや本作に登場する人物は、現在(4月上旬現在)どのような状況に置かれているのか。
本書に登場する元看護師のかわいい「おばさん」は、NHS(国民保険サービス)に使い崩されそうになり、早期退職をしたのにも関わらず、英国政府からの要請に応えて復職しました。「誰よりも現場の人手が足りないことを知っているから、じっと家にいるのが苦しい」と。また同じく登場人物のスーパーマーケットで勤務する「おっさん」や、うちの連合いのような配送業の人たちも、忙しく働いています。彼らはロックダウン中も地域社会を回していくために勤務してほしいと、政府が認定した「キー・ワーカー」たちです。EU離脱の国民投票以降、労働者階級はバカだとかいろいろ蔑まれてきましたが、今がんばっているのは、まさにこの本に出てくるような人たち。
医療にしろ、介護にしろ、配送業にしろ、末端の「キー・ワーカー」には移民労働者も多く、この非常な状況下でいっしょに働くなかで、けっこう友情とかも芽生えているみたいですね。
▲英国で77年に出版された労働者階級の少年たちを 描いた作品。
彼ら少年たちと「おっさん」たちは、同じ 年代にあたる。
本作のサブタイはこの本が元になっている。
最終章にあたる第二部では、英国の「世代」、「階級」、「酒事情」について説く「解説編」を収載。なぜこのような構成にしたのか。
担当編集者からのリクエストで、第一部のエッセイをより楽しむための「英国現代事情解説編」にしようと。「酒事情」が最後にしたのは、私がまず酒飲みだということ。そして、英国のことを日本の人に話すとき、ビールの消費量やパブの数が減っている話をすると、政治の話以上にびっくりした顔をされる方が多いんですよね。それこそ「おっさん」世代がビール&パブの世代ですから、それが大きく変わってきたことは時代の変遷という意味で象徴的だし、その解説を最後に持ってくるのはふさわしい気がしました。
編集者も大好きだったルー・リード
本作のタイトルは、ルー・リードの名曲「ワイルドサイドを歩け」に倣っている。
また作中にもまるで映画の挿入曲のように、ザ・フーやボブ・マーリーなど、数々の名曲が登場する。
前作『花の命はノー・フューチャー』がセックス・ピストルズだったんで、「今度は何にするか?」と考えてたら、ふと風呂場で思いついたんですよね。いつまでも性懲りもなくワイルドサイドを、よろよろと「ほっつき」歩いている、中高年の「おっさん」たちが周囲に何人かいたので。担当編集者もルー・リード大好きで、ウケてくれて、めでたく即決でした。
また作中に登場する曲については、連載時に最初の1、2本を何となく曲をモチーフにしたんですが、曲を使ってない原稿を送ったら、担当編集者から「今回は何も曲が入ってないですけど、それでいいですか?」というリクエストめいた確認が来て(笑)。じゃあもうしょうがないから、全編に音楽を入れしまおうということになりました。
『ぼくはイエローで…』は、本屋大賞ノンフィクション大賞など、大きな話題を呼んだ。ブレイディさん自身、その反響についてどう感じているのか。
そんなに売れる本とは思いませんでしたし、私自身、売れるタイプの書き手ではないので、びっくりしています。というか、私は日本に住んでいないので、あまり実感がりません。これまでと同じように英国に住んで、同じように暮らしているだけです。「それでいい」というか、「それがいい」と思っています。
四六版/ 256㌻/ 本体1350円
ブレイディみかこ
ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。96年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年、『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)で第十六回新潮ドキュメント賞受賞。19年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で本屋大賞ノンフィクション本大賞をはじめ、各賞を受賞。著書に『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』(ちくま文庫)など多数。
ブレイディさんの直筆メッセージ
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