双葉文庫ルーキー大賞 第1回受賞作!
「朗読部」を舞台に繰り広げる青春小説
双葉文庫ルーキー大賞で、記念すべき第一回受賞作となった『遥かに届くきみの聲』(8月7日発売)。本作は東海学園大学で日本文学を研究し、教鞭をとる大橋崇行さんによる作品で、高校の「朗読部」を舞台に、主人公・透とヒロイン・遥が繰り広げる青春小説だ。作中には宮沢賢治が妹・トシとの死別を憂いて創られたという『永訣の朝』を軸に、梶井基次郎『檸檬』、内田百閒『冥途』など数々の近代文学や絵本が朗読作品として登場する。(聞き手 山口高範)
文学を現代の視点でとらえなおす
大学で日本文学の研究・講義をする大橋さん。今回の執筆のきっかけは、大学での講座で触れた、ひとりの学生による「解釈」だと語る
大学の講義で学生に、文学作品を読んでもらう形式の授業があるんですが、その際、高校時代に演劇をやっていた子の読み方がとても興味深くて。
研究者として文学作品を取り上げる場合、当時の時代背景に立って、言葉一つ一つにこだわり、その意味合いを考えながら読み上げ、解釈をすることが一般的です。
ただその学生の「朗読的」な読み方は、現代を生きる一人の人間の視点から作品をとらえ、作中人物の気持ちを丁寧に読み上げていて、登場人物の心情など「言語化できない」部分を見事に表現していたんです。
研究の立場上、「現代の視点から作品をとらえなおす」という行為は、あまりしてこなかったんですが、「言語化できないものをあえて言葉で表現したい」という欲求もありましたし、研究者としてではなく、文学作品を「現代的にとらえなおしたい」という欲求もありました。だから、その学生の「朗読」を聞いたとき、「これがやりたかったんだ」と。でもそれは研究論文ではできない、であれば「朗読」をテーマに「小説」という形態でやってしまおうと思ったのが、執筆のきっかけです。
自然主義的なライトノベル
古典や近代文学を研究する一方で、ライトノベル作品の文芸批評だけでなく、自らもラノベ作品を手掛けるなど、その造詣も深い。
これまでライトノベル作品やその批評本を手掛けてきましたが、今回は「言語化できない部分」を描きたいという思いがあったので、どうしてもライトノベルという体裁はとれなかった。というより、表現方法として適切ではないなと。
ライトノベルの場合、原則、想定読者を中高生男女に設定して書くんですが、その際、よく編集者の方から、「説明的に書いてください」と言われるんです。作中人物のビジュアルやその場の風景とか。よく文学の研究会で話題になるんですが、「かつて自然主義文学がやっていたことをライトノベルがやっている」という状況なんですね。
つまり一般文芸とライトノベルのイメージが逆なんです。一般文芸は大人向けで、しっかり描写しないといけないというイメージがあると思うんですが、最近の文芸作品はその説明を省いてしまうケースが多い。読者に投げるというか、読者に想像させる部分、余白の部分を残すように意識したという点では、本作は文芸作品であり、青春小説という位置づけですね。
他にも、作中ではタイトルでも使われている「聲」と「声」を使い分けるなど、随所に大橋さんのこだわりと思いが垣間見える。
作中では「聲」と「声」を使い分けています。それは心に響く場合の「聲」と、音声としての物理的な「声」です。例えば冒頭で、ヒロイン・遥の『永訣の朝』を朗読するシーンは、主人公・透にとって、それは「声」ではなく、「聲」として聞こえる。この物語は、透と遥を中心に描かれていますが、物語の重要な局面で「聲」を使っています。また1人称へのこだわりもありました。それは地の文であっても、主人公・透が感じたことであり、その感情的な部分も表現できるだろうと。3人称だとどうしても透と距離ができてしまう。青春小説という体裁もあったので、1人称という選択肢はあまり迷うことはなかったですね。
▲大学で教鞭をとる大橋さん
『永訣の朝』の現代的解釈
宮沢賢治が妹・トシとの死別の悲しみの中で書かれたという詩『永訣の朝』が、物語の中で重要な役割を果たす。
その『永訣の朝』ですが、この詩は賢治の悲しみを詠(うた)った作品とするのが一般的な解釈です。しかしこの物語では、妹・トシから残される賢治への「何とか強く生きていってほしい」というメッセージとして、通常とは違う解釈を提示しています。
創作当初から、東日本大震災を下地にしながら、『永訣の朝』をテーマに書こうと思っていたんですが、ちょうど執筆しているときに、京都アニメーションの放火事件が起きて。東日本大震災もそうですが、あまりにも理不尽で、悲しい別れを余儀なくされた人がたくさんいて。それでも残された人は生きていかなければならない、何とかして日常を取り戻していかなければならない、という気持ちがあったんだと思います。だからそんな悲しい別れを強いられ、経験した「今」だからこそ、『永訣の朝』を現代的に解釈することも重要ではないかと。それは論文ではできない。だから今回、小説という形をとらせてもらいました。
朗読作品と登場人物の関係
その他にも朗読作品として、宮沢賢治の『オツベルと象』、梶井基次郎『檸檬』や夏目漱石『夢十夜』などの古典作品だけでなく、教科書などで誰もが触れたことのある、代表的な絵本作品も登場する。
『オツベルと象』は賢治作品としても好きな作品であると同時に、朗読でも扱いやすい題材で。『檸檬』についての解釈は、本作でも触れているように「中二病」的であったり、自意識の問題で読まれるケースが多いですが、登場人物を通じて「現代的な」解釈も合わせて提示しています。だから本作を通して、その古典的な作品群を知っている人は改めてこんな解釈があったのかと思ってもらえるとうれしいですね。一方でその作品を読んでいない読者には、読むきっかけになってくれればと思っています。また誰もが知っている『ちいちゃんのかげおくり』など、有名な絵本作品も数多く登場します。
これら本作に登場する朗読作品は、最初の時点でいくつかリストを作っておいて、その作品そのものをイメージさせるキャラクターとして登場人物を作ったので、それぞれの登場人物が朗読する作品は、そのキャラクターを表しているといってもいいかもしれません。朗読作品とキャラクター、その関係性はかなり意識しましたね。
▲蔵書であふれる大学の研究室
「本を愛するすべての人へ」と謳う本書。それは書店で働く書店員すべてに贈られているメッセージでもあるだろう。
新型コロナウイルスの影響で本屋さんに行く機会が減っている人もいると思うんです。ただやはり本屋さんは、新しい作品や本との出会いの場です。本作にもたくさんの作品が登場します。だからこそ、本作とそれらの作品とを一緒に展開してもらうことで、ぜひ読者の方にとって、掲載した作品やこれまで出会う機会がなかったような日本文学作品と出会うきっかけになればと願っています。
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