物語性とビジュアルデザインで
会計本を歴史エンターテインメントに
田中靖浩『会計の世界史』(日本経済新聞出版社)が刊行から8カ月余で7万部と、堅いイメージの強い会計本では異例のロングセラーとなっている。400ページ超、本体2200円と購入するには少し躊躇してしまいそうだが、10万部の大台も見えている。小難しい数式は一切なし、それどころか会計とは関係のなさそうな西洋絵画や人類史上有数の発明、一度は聞いたことのある名曲にまつわるエピソードが満載。レオナルド・ダ・ヴィンチなど、歴史の偉人達が生き生きとした人間味あるキャラクターとして登場する。いずれも会計の基礎知識に結びつき、勉強する意識がなくても引き込まれてしまう。執筆・制作にあたり「物語性とビジュアルにこだわった」という田中氏に聞いた。
・錯綜する情報社会の断面を描く
現在までに会計本としては異例となる7万部を発行しています。会計エンターテインメントのアイデアはどのように生まれたのですか。
最初はエンターテインメントを意図していたわけではありません。会計はとっつきにくく、できるだけ避けて通りたいという感覚をもっているビジネスパーソンも多い。でも必要に迫られて、いやいや勉強を始めるけれども、多くの人が挫折してしまいます。
何から勉強すればよいかは経営者、営業マネージャー、経理担当者で違うはずで、そもそもどこから手をつければいいかわからない人も多い。そこでどんな人でも楽しみながら、会計の全体像を示せる本があれば、と思っていました。
・検索では得られない価値
巻末の参考文献を数えましたら174冊もありますね。
参考資料や文献を探しに、何度も本屋に足を運び、今回の本代・資料代だけで軽く100万円を超えました(笑)。
情報を取得する際、検索だけでは得られない価値が、本屋にはあります。検索は全体を分解し、さまざまな要素を細かく見る行為ですが、本屋はその逆で、興味・関心の幅を広げる場所です。ネット書店にもその魅力はありません。
書籍も同様で、今回の執筆・制作においても、広がりを意識しました。会計と経済、歴史、芸術を関連付ける行為は、コンピュータには不可能です。
検索で出てくることは、誰かがすでに考えたことです。本は他の誰かに類推されないものをいかに入れるかが勝負。管理会計とジャズとを関連付けるアイデアはこうして生まれました。
全体は3部構成。さらに3つの絵画、発明、名曲 にわけて史実と会計知識をつなげるストーリーづくり、場面のつなぎ方もとても自然です。
落語でいうところの「枕」です。語りが上手い落語家は「枕」と「本題」のつなぎがわからないくらい自然です。その手法を使いました。会計の記述と歴史・物語の記述をあえて区切らず、関係ないと思われる話題がいつの間にか会計の話になっている構成です。
・会計本と思わせないデザイン
また章の終わりに気を使いました。章の終わりは実在した人物がフィクションとして語り、筆者が主人公に寄り添っています。章が変わる場面転換のところで、その流れのまま、次章を読んでもらえるよう、図版のレイアウトやデザインについてもこだわりました。
読者が途中で引っかからないよう、物語の流れを重視し、引っかかる前に「ついでに」会計を説明してしまう、という構成です。読者を会計の勉強モードに入らせず、歴史絵巻を読んでいるように、映画を観ているように、最後までスムーズに読んでもらうことを意識しました。
最後も読者が「えっ」と思うような仕組みで、エピローグもこれまでの伏線をまとめて回収しています。
装丁、レイアウトもこれが会計本だろうかと思うほどに細部まで凝っています。
会計のガイド本で歴史上の人物が登場する、その時点で分厚くて値段の高い本になるだろうとは思っていました。この本は僕の処女作『経営がみえる会計』の10万部を超えたいと自らハードルを課しました。むろん昨今の出版事情で10万部は最初から狙える数字ではない。でもいい本は高くても売れることを示したかった。
自分の筆力だけではどうしようもないと自覚していました。本屋さんで来店者が手に取ってパラパラめくる、その2、3秒のインパクトで勝負は決まると思いましたので、その人たちに「会計の本じゃないみたい」と思わせることを狙いました。
そこでビジュアルインパクトを重視し、デザイナーとイラストレーターを最初に決め、原稿執筆序盤から相談を重ねました。デザイナー目線からみて、どうすればうまくハマるのかを徹底的に聞き、イラストレーターさんもどんどん意見を言ってくださいました。自分からもレイアウトのアイデアを出しましたね。編集者も含めて、本当にチームで作った作品です。
執筆している中で印象に残ったエピソードはありますか。
1部と2部の切れ目です。1部はヨーロッパ大陸、2部はイギリスの産業革命を扱っています。ここで時代の意味付けも舞台も一度切れ、急に場面転換が起きる構成でした。それではスムーズな流れができているとはいえず、気になっていました。数カ月悩み続け、ネットを検索しても解決できません。
そのときに丸善日本橋店で見つけた『ロンドン大火』(原書房)のなかに、あるパン屋でのボヤに関する記述を見つけたとき、思わず「これだ!」と叫びましたね。それを会計の時価主義と原価主義の考え方に結びつけることができ、1部と2部を橋渡しする、自然な流れを作ることができました。
ほぼ毎日書店に通っているとのことですが、書店活性化のアイデアはありますか。
著者、お客さん、書店員の3者が幸せになる仕組みをつくれないかと考えています。今ある販促企画を練っています。実際に今回の『会計の世界史』でも実施していたことですが、これから全国の書店員さんにお声がけをして、近いうちに動き出すつもりです。書店員さんと新しいチャレンジをしたいです。その中で来店される人たちと新しい関係を築くことを模索したい。自分自身は本屋に育ててもらったと思っているし、本屋さんをなくしたくないですね。
(聞き手 :成相裕幸)
田中靖浩(たなかやすひろ)
田中靖浩公認会計士事務所所長。産業技術大学院大学客員教授。1963年三重県四日市市出身。早稲田大学商学部卒業後、外資系コンサルティング会社などを経て現職。ビジネススクール、企業研修、講演などで「笑いが起こる会計講座」の講師として活躍する一方、落語家・講談師とのコラボイベントを手掛けるなど、幅広く活動中。
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