「出版の街」として知られている東京・神保町の可能性を発展的に見直し、日本の出版文化を世界にアピールしていく拠点としていく方策などを考えるシンポジウム「世界の神保町をめざす─〝知のプラネタリウム〟の発信」が6月26日、東京・千代田区の出版クラブビルで開かれた。冒頭、活字文化議員連盟会長の上川陽子外務大臣がビデオメッセージを寄せ、「世界に二つとない魅力的な神田神保町を、知のプラネタリウムとして世界に発信することを提案する」などと呼びかけた。
神保町の活性化に関わる諸団体などが協力して、今後取り組んでいくスタートの位置づけで、今回のシンポジウムが催された。主催は東京文化資源会議、共催は神保町文化発信会議(活字文化議員連盟、出版文化産業振興財団、東京文化資源会議、本の街・神保町を元気にする会、文字・活字文化推進機構、読売新聞社で構成)、活字文化推進会議、千代田区が後援した。
主催者あいさつに続き、上川氏がビデオメッセージで基調報告した。上川氏は昨年7月、文化通信社の第3回「活字文化フォーラム」に、読売新聞グループ本社の山口寿一社長とともに登壇。その中で、「神田神保町のような魅力ある街、時間をかけて作られてきたその財産、文化財をぜひ残したい。今回の件を絶好のチャンスと捉えて、神田神保町を国際的な活字文化の拠点にしていくことが可能ではないかと確信している」などと語っていた。
上川陽子外務大臣の基調報告(全文)
皆さんと直接お目にかかることを楽しみにしていたが、海外出張と重なってしまったため残念だ。今回、「知のプラネタリウム」である神田神保町の大きなポテンシャルについてお話したい。また、外務大臣としていろいろな国の本屋さん、図書館を回ってきた経験を皆さんと共有させていただきたい。
まず、私にとっての本は過去の世界、未知の世界、創造の世界を提供してくれる魔法の杖だ。本は、私たちをさまざまな世界に誘う人生の羅針盤の役割も果たす。例えば、幼少の頃、本に触れた体験は、大人になってからの人生をきっと豊かにしてくれる。ちょうど子どもたちが、うちに秘めたさまざまな可能性という種子に水をやり、花を咲かせる感じだろうか。本からいろいろな養分を吸収することで、心の中の可能性の種子を開花させることができる。
本を読んでいる子は、読んでいない子よりも頭がよいというような、他者との比較の話をしているわけではない。その時々の自分の魂が求めていた本と偶然出会い、読書によって味わった感動が人に力を与え、力が創造性を生み出し、創造性が人生を豊かにし、喜びをもたらすのだ。私自身の経験でも、本から触発されてインスピレーションを受けたり、何か困った時、かつて本から得た言葉をふと思い出して元気づけられることがよくあった。本から得た感動が生きる力につながった経験が、その人の心の支えになるのだと思う。
私にとって書店や図書館は、そのような本との大切な出会いの場だ。私は外務大臣として海外出張した際、可能な限り現地の書店を訪問し、特に子ども向けの本、その国の歴史や自然、活躍する女性、芸術に関する本を紹介してもらい、人々が楽しそうに本を選ぶ様子も見ながら、数冊ずつ購入している。
書店は各国の歴史や文化、人々の関心が凝縮した、その国への理解を深める上で、重要な文化の拠点だ。また、各国の書店に置かれた日本の書籍を見ることで、日本への関心がどのようなものか知ることができる。これまでに19カ国の書店を訪問したが、そのうちの多くの書店で、夏目漱石や谷崎潤一郎、村上春樹氏など古典的な名著から、漫画、アニメを含む現在の作品まで、日本の書籍の翻訳本が幅広く並べられていた。
アンカラの書店で現地の店員から、感銘を受けた本として永井隆の『長崎の鐘』の翻訳本を紹介されたことは嬉しい驚きだった。各国の書店における書籍の扱いにはそれぞれ特色があるものだが、特に日本の漫画の存在感は各国の書店で共通していた。
5月に訪れたフランスで、パリ日本文化会館の図書館を視察した際にも、多くの地元の人たちが図書館を訪れ、日本の小説だけでなく、漫画やアニメにも親しんでいると聞いた。漫画を含む日本の活字文化は世界中で受け入れられており、日本のソフトパワーの重要な中核になっていると実感した。
活字文化だけではない。伝統文化からマンガ、アニメといったポップカルチャーに至るまで、多様な魅力を有する日本文化は、世界中で幅広い層に愛されている。こうした日本文化の魅力発信は、日本や日本人が世界で好意的に受け入れられる国際環境を醸成する上で、大変重要だ。また同時に、各国と双方向の文化交流を行うことは、それらの国との信頼関係を構築するための基盤となる。
日本の書店や書店街は、こうした日本文化や日本コンテンツの発信拠点として機能するとともに、私が海外の書店で日本の活字文化と出会ったように、さまざまな文化が行き交う国際的な文化交流拠点にもなりうる場所だ。文化外交を推進する上でも、日本の書店街を、日本国内のみならず、世界をターゲットとした文化の一大拠点として大切に育てていくことが大変重要であると、海外の書店訪問を通じて改めて強く感じたところだ。
そのような本と出会える神田神保町は、本の街として広く知られている。その大きな理由のひとつは、書店ばかりでなく、出版社、本の卸し、印刷、製本、編集プロダクションなど、本に関わる多くの職種が集積されている、そのユニークさにある。そうした総合力が、この町の文化形成に大きな役割を果たしてきた。
その中でも特筆すべきことは、店舗数約130を数える古書店の存在だ。外国のさまざまな本屋さんや図書館を見てきたが、狭いエリアにこれほど質の高い古書店が軒を並べる地域は世界でもなかなかない。その歴史を少しひも解いてみたいと思う。
明治新政府が発足した頃、神保町エリアにあった旧幕臣が住んでいた屋敷町には、京都から登場してきた公家が住むようになり、のちにその土地が民間に払い下げられ、官立や私立の学校が次々と設立され、周辺には学生相手の下宿屋が立ち並ぶようになった。それらと並行して、明治10年代には早くも出版を目的とした本屋さんが生まれ、古本屋で出版を始めたりする人たちも現われはじめ、本の街・神田神保町の原型ができた。
その後も学生は増え続け、学者・文士が集まってくると、書物への需要が一気に高まりまる。近隣には森鴎外、樋口一葉、夏目漱石、正岡子規などの文豪も住み始めた。さらに、神保町周辺には日本語学校や留学生会など、留学生を受け入れる施設が整備され、アジアからの留学生を多く受け入れてきた歴史もある。特に日清戦争後、日本の近代化について学びに来た中国人留学生は多く、魯迅や周恩来などに代表される中国近代史を担ったそうそうたる人物が、留学生活を送っていた。まさに神保町は世界有数の文明発信源だった。
私には、このような歴史を持つ神田神保町を世界的な文字活字文化の一大拠点にしたいという夢がある。この街には、長い歴史の中で積み重ねられた有形・無形の文化資産がある。古書店街、神田明神、カトリック神田教会聖堂など歴史的、文化的な建物などの有形文化財は大切に保存されてきた。
一方で、外からはなかなか気づきにくい、目にすることのできない無形の資産も、神保町にはたくさん隠されている。例えば、それぞれの古書店がその専門分野で築き上げてきた独自のネットワークや、古書の価値を判断する店主さんの目利き力など、マニュアルにすらできない暗黙知的な資産があると思う。それらは長い年月を費やして、神保町だからこそ築き上げることのできた、独自の無形文化財ではないだろうか。
神保町の本屋さんには、専門性を持った人が数多くいる。訪れたお客さんが探している本をすぐ提供できることも、本の目利きとして神保町の活字文化を支えている。また、古書店はそれぞれ扱うジャンルが異なり、扱っている他の古書店を紹介し合うなど、ワンストップの役割も果たしている。こうした相互に協力し合うビジネスの伝統が、古書店街を長く維持してきた背景にあると思う。
近年は文字活字文化にもデジタル化の波が押し寄せ、その対応に迫られている。読書人口が減っていることや、本ではなくデジタル媒体で活字に触れる人が増えている現実は否めない。Amazonなどでもインターネットを通じて古書の売買がされるようになり、東京古書組合はそうした流れに対応し、古書検索サイト「日本の古本屋」を立ち上げ、日本全国の古書店が出店している。
しかし、私は手で触ることのできる、紙でできた本の将来について悲観していない。むしろ今後、社会全体のデジタル化がよりいっそう進んだ時、人々の中に、やっぱり自分だけの時間を持ちたい、ゆっくり本を読みながら過ごしたい、といった気持ちが強まるのではないかと思う。あらゆるものがデジタルに支配されようとしている無機質な社会空間から、一時的にせよ解き放たれたいという動物的欲求が、人間には本能的にあるんじゃないかと思う。そういった人たちの受け皿として、本の持つ力が再認識される時代が間もなく来るのではないかと思う。
そのような時代を先取りする形で、神田神保町で培われてきた歴史・文化の蓄積を最大限に生かし、存続可能な活字文化の一大コミュニティにするために、新しいものをどんどん取り入れ、新たな活字文化の歴史を切り開いていくチャレンジ精神が、今こそ求められていると思う。
私は、神田神保町の時間と空間を超えた知の集積地としての未来をイメージし、世界に二つとない魅力的な神田神保町を、知のプラネタリウムとして世界に発信することを提案する。ご存知の通り、プラネタリウムはさまざまな時間や場所における星空の動きを、ドーム型のスクリーンに再現する装置だ。神保町にある有形・無形の文化財を星に見立て、それらの文化財を通じて、さまざまな時間と空間を味わうことができる可能性を、神保町に感じる。
また、神保町の魅力は活字文化だけではない。カレー屋さん、楽器屋さん、スポーツ関連のお店、飲み屋さん、カフェとさまざまな業種の人たちがお店を構えている。神保町で生計を営む全ての人たちと協力し、さらにそこを訪れるお客さんも巻き込みながら、本を媒介にしたさまざまな人や業種が、複合的かつ一体的にコラボレーションできる一つの大きな知の空間、神田の街全体をカバーするようなプラネタリウムの姿をイメージしている。この知のプラネタリウムを世界に発信するという観点から、まずは日本に来る外国人観光客の人たちに、神保町に実際に来ていただいてアピールできるのではないかと思う。
活字、文字文化を活用しながらインバウンド事業を行っている先進事例がある。例えば、埼玉県所沢市にある角川武蔵野ミュージアムでは、図書館、美術館、博物館、アニメミュージアムが一体となった複合文化施設で、ジャンルを超えた知識の再編とクールジャパン文化の発信が行われている。特に、館内にある「本棚劇場」は、高さ約8メートルの本棚が360度空間を囲み、約2万冊の書籍が収蔵されている。また、この空間ではプロジェクションマッピングが上映され、「本と遊び、本と交わる」をコンセプトにした演出が行われている。「本棚劇場」はただの読書空間ではなく、活字とアートが融合したユニークな体験を提供する場所となっている。
また、箱根にある宿泊施設「箱根本箱」は、本をテーマにしたインタラクティブ・メディアホテルだ。本に囲まれた生活が実感できるように、言い換えれば、まるで本に囲まれてそこに暮らしているかのように滞在できる。本好きな人だけを対象にしているわけではなく、むしろあまり本は買わない、最近本を読まないという人々に対しても、本との新しい出会いを提供する場として設計されている。
このような事例も参考に、本が目的で神保町に来たわけではないけれど、たまたま立ち寄ったカフェ、お店、コミュニティセンターのロビーなどで、思いがけない本との出会いを自然に演出できればと考えている。
最後に、本日のイベントの主催をされた東京文化支援会議では、有識者の人々が集まり、さまざまなアイデアで神田神保町を変えようと努力されている。また、神保町文化発信会議、出版文化産業振興財団、本の街・神保町を元気にする会、文字・活字文化推進機構、読売新聞社の皆さんも、共催団体として強力にこれを支援しておられる。そうした皆さんのこれまでの熱心な活動に対し、心からの敬意と感謝の気持ちを申し述べたい。
この間、私の所属する自民党の議員連盟「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」では、街の書店の振興に向けて、諸課題を検討するなど活動を続けている。さらに、私が会長を務める超党派の活字文化議員連盟では、これまでお話ししてきたような方向性をさらに進めていくとともに、より具体的な課題の解決に向けて方策を検討するなど、勉強を重ねていきたいと考えている。その際、文字・活字文化推進機構などとの協力、連携を強化する可能性を検討していく。
そうした中で、最近、大変嬉しいニュースが届いた。政府の「骨太方針2024」に、書籍を含む文字活字文化の振興や、書店の活性化を図るという内容が盛り込まれた。まさに、神田神保町を知のプラネタリウムとして、世界の拠点とする絶好のチャンス到来だ。このチャンスを生かすべく、皆さんとひとつのチームになって、世界の神田神保町を目指し、さらに積極的に活動していきたい。
コメント