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インタビュー

『朱色の化身』(講談社)/塩田武士氏に聞く

小説という「虚」で「実」を描く
徹底した取材に裏打ちされたリアリズム

撮影:森清

 塩田武士氏が、作家デビュー10年を機に執筆した『朱色の化身』が3月14日配本で講談社から発売された。失踪した「辻珠緒」という一人の女性の実像に迫るべく、主人公のライター・大路亨はその関係者に取材を重ねる。本作創作にあたり、新しいアプローチ手法で取材・執筆したと語る塩田氏に話を聞いた。(聞き手:山口高範)

創作のベースとなった二つの「風」

本作は福井県・芦原(あわら)温泉で、約70年前に実際に起きた大火事件から物語は始まる。舞台を福井にした経緯は。

 編集の方と福井県にある私鉄終点の三国港を訪れた際、その夕暮れの海岸の裏寂しさを見たときに、この雰囲気で小説を書きたいと思ったのがきっかけです。

 その後改めて、福井に取材に行き、まずは東尋坊に行こうと思って、タクシーに乗ったんですが、運転手さんから「雄島に行ったことはあるか」と聞かれて。調べてみると、地図の端に短い橋と小さい島が載っていたんです。まるでRPGのラスボスがいるような雰囲気で、これは行ってみたいなと。

 現地に着くと、220メートルの朱色の橋が架かっていて、風も吹きつけていて、波も高い。ここを作中での重要なシーンに使いたいと強く思いました。

 事前に出版社の方から、福井に行くなら芦原がいいということも聞いていたので、その後、芦原にも足を伸ばしたところ、地元の神社があって。そこに芦原の歴史が書かれていたんです。そこにたった2行ですよ、「昭和31年の大火で灰燼に帰した」とだけあって。「たった2行で済まされる話じゃないだろう!」と。それ自体、知らなかったこともショックだったし、温泉街が燃えるって、もうまったくイメージがついてこなくて。

 それでその大火について調べ始めていくと当時フェーン現象による「強風」で、温泉街の旅館のほとんどが燃えてしまって、さらにもうひとつの風、「風化」です。福井県のその地域の人以外が忘れてしまっているという現実もあって。これらが本作のベースとなりました。

リスクを孕んだ創作アプローチ

2010年に『盤上のアルファ』でデビューを果たした塩田氏にとって、本作は10周年を迎えた記念碑的な作品にあたる。

 デビューして10年、これからどういう作家として生きていくかということを真摯に考えた際、やはりリアリティを追求し、写実主義的に描くことが、自分自身、いちばん興奮して面白い。さらにはその事実を調査、取材し、世間に問うことにも大きな意義があるだろう、という思いに至りました。

 そのうえで、本作をどういう作品にするかと考えたときに、リアリズム小説には3つのタイプがあると。グリコ森永事件を題材にした『罪の声』のような「トレース型」。事実と闇の情報量が異常に多いため、それぞれの歯車が噛み合うことで、フィクションとしても十分に成立するケース。

 2つめは「モデル型」。例えば同じグリコ森永事件を扱った、高村薫氏の『レディ・ジョーカー』がこれに当たります。事実ではないが、事実そのものをモデルにするものです。

 最後は本作で私が試みた「キーワード型」。自分が気になっている社会現象や世間の動向、普遍的なテーマなどから、いくつかキーワードをピックアップし、それを取材し始めるという手法です。

 前者2つの手法は一つのテーマに絞った直線的な取材方法になりますが、3つめはその取材過程で共通した「時代性」が獲得できるのではないか、という仮説のもと、曲線的なアプローチとなります。

 そのため不安定かつ核のない取材方法となり、小説として成立しない可能性も十分に孕んでいます。この手法で描かれた小説を私は知らないし、先の見えない取材であることから、リスクも非常に大きい。

 でもデビューして10年目にあたる作品ですし、今回はチャレンジしようと。その上で今回、16のキーワードから「テクノロジー」、「ジェンダー」、「依存症」の3つに絞りこみ、取材を始めました。

 テクノロジーについては、本作では「未来」を担っており、大手通信会社に「スマートグラス」について取材をしました。一方、「ジェンダー」「依存症」は、過去と現在を象徴するワードとして機能しています。

「ゲーム」「芦原」など、テーマごとに ファイリングされた取材資料

 今回、京都大学関係者や銀行の総合職に就かれていた女性にも何人か取材し、「辻珠緒」と同世代の女性がいかに不遇であったかを知りました。ジェンダーの根本的な問題は、平等にチャンスを与えられていないことです。それは当事者の方々の話を聞く中で、その不公平を突きたいという思いがありました。

 一方、依存症についても、ネットゲーム依存症の子を持つ親御さんにも話を聞き、これは小説家として作中で書かなければいけないという思いに駆られました。

 その他当時の大火を知る人、ゲームプランナーをはじめ総勢30名以上の方への取材、さらには現地の図書館や消防署での資料収集などで得た、「実」の情報・エピソードで埋めていき、その中心にいる「虚」の存在である、「辻珠緒」という存在を浮かび上がらせる。

 緻密な取材で得られた「実」を「虚」によって強調する、それが小説家の仕事であり、その究極の形を目指したのが、本作だと言えます。

現場を見る、現地の声を聴く

本作の取材のために、ひとりで幾度となく福井を訪れたという塩田氏。なぜそこまで現地での取材にこだわるのか。

 臨場しないとわからない情報というのがあって。雪景色の雄島を押さえたいがために、訪れもしました。21年2月3日の朝、娘を保育園に連れて行って、その足で芦原に行って、30分待って、わずか15分だけ雪が降ったんです。その間に動画を撮って。45分の福井滞在で、そのまま娘を迎えに行ったりすることもありました(笑)。

 読者が実際にその現場に足を運んだときに、塩田の言った通りだと思ってくれたら、作家としては、うれしいんですよ。それは山崎豊子さんもエッセイで同じようなことを言っていて。あの方も新聞記者出身ですから、その癖かもしれないですね。

 小説という「虚」を書いているからこそ、「実」の部分がとても大切で、「実」を知っているからこそ「虚」を書けるんです。だから現場に行くんです。

重要なシーンの舞台となる雄島と朱色の橋

 本作は「辻珠緒」というひとりの女性について、一章は周囲の証言、二章以降はライターである主人公の大路亨が関係者に取材をする形式で、その人間像を浮かび上がらせる構成だ。

 有吉佐和子さんの『悪女について』がイメージにありました。あれも27名の毀誉褒貶な証言から一人の人物像を浮き彫りにする、証言小説です。

 本作も表層的な「マス」という視点、現実感を帯びる「個」という視点で、「辻珠緒」の人物像を浮き彫りにしており、それぞれのフィルターを通すことで、その印象は大きく異なります。ですから先ほどの「虚」と「実」、「マス」と「個」という二項対立をこの小説で提示したかった、という思いもあります。

「他力」が持つ作品の訴求力

有名俳優を当て書きした作品を執筆するなど、話題性や販売面でも新しいことに意欲的な塩田氏。本作でも新しいプロモーションを試みたという。

 俳優の方などとは違い、小説家は裏の人間です。その時に自身の作品を読者に向けてアピールするにはどうしたらいいかと考えたときに、やはり作品における説得力だということに気づいて。ですから本作発刊にあたり、企画会議から福井への取材など、その過程を動画で配信することで、この作品がいかに綿密な打ち合わせや取材、多くの人たちからの協力、善意によって成立しているか、ということを読者に伝えたかった。

 『罪の声』も映画化、コミック化され、私の手から離れていった。そのときに強く感じたのは、人のつながりが持つ力の強さです。ですから今回も、多くの方の知恵と力、つまり「他力」に支えられることによって、「キーワード型」のリアリズム小説を描き切れるか、そういう挑戦でもありました。

 リアリティは娯楽性と直結します。リアリティは親近感ですから、私ひとりがリアルだと思って、独りよがりで書いた作品よりも、多くの人に会い、話を聞き、取材して書いた物語の方がはるかに面白いものになると思っています。

本作のドキュメント動画

塩田氏特別インタビュー動画

書店購入者限定のオンライントークショーを開催

 今回、新刊の発売に合わせ、文化通信社と協業し、全国書店で購入した読者限定で、執筆の舞台裏や創作過程での秘話などを塩田氏自身が語るオンライントークショーを4月20日に開催する(文化通信社主催)。

 購入読者は、購入時に各対象書店で入手する参加券に記載されている、QRコード等からアクセスし、当イベントの参加を申請することができる。詳細・対象書店はこちらの記事へ。


『朱色の化身』


四六判上製/322㌻/定価1925円

塩田 武士(しおた たけし)

1979年、兵庫県生まれ。神戸新聞社在職中の2011年、『盤上のアルファ』でデビュー。2016年『罪の声』で第7回山田風太郎賞を受賞。2018年には俳優・大泉洋をあてがきした小説『騙し絵の牙』が話題となり、本屋大賞6位と2年連続本屋大賞ランクイン。2019年、『歪んだ波紋』で第40回吉川英治文学新人賞受賞。2020年、21年には『罪の声』、『騙し絵の牙』がそれぞれ映画化された。

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