地図研究家として著名な今尾恵介氏による『地図帳の深読み 鉄道編』が発売。シリーズ第3弾にあたる本書は、現代、100年の歴史に続き、鉄道に関する著作も多く手掛ける今尾氏ならではの著作だ。1872年10月に日本で初めて新橋~横浜間に鉄道が開通し、今年で150周年を迎える。暑い夏のトンネルを抜けた先には、日本中が鉄道一色のムードになっているかもしれない。(聞き手:山口高範)
引き込み線の蒸気機関車
地図研究家として著名な今尾氏。鉄道好きになったきっかけは自身の育った環境によるところが大きかった。
幼児の頃に平塚に住んでいて、家の近所に大きな工場への引き込み線があったんです。毎朝、そこを通る蒸気機関車が牽く貨物列車を見てから幼稚園に行くという生活を送っていて、それが原体験でしょうか。
その後、4歳のときに横浜に引っ越すことになるんですが、家の前に東海道新幹線が通っていて、引っ越し早々拝むことができる環境だったんです。それがちょうど1964年で、東海道新幹線が開通した年でもあります。でも当時の車両は、今よりもパンタグラフも多く、「シューッ」とかなり大きな摩擦音を立てながら走っていましたね。
小学生になると友達と駅名をお経のように唱えて覚える遊びをしたり。漢字の多くは駅名で覚えたかな。小6のときには、初めて自分で時刻表を買いましたね。そしたら本屋さんに「それは大人が買うものだよ」と言われまして。僕はとびきり体が小さかったものだから(笑)。
「地図帳」との併読で味わう
地図帳は地形図とは違い、より広範囲、俯瞰的、大局的に地理を認識できる。地図帳と一緒に読むと、本書や当シリーズをより深く味わえると今尾氏は言う。
このシリーズは、学校で使っていた「地図帳」を前提にしています。特に高校時代に多くの人が触れていた『新詳高等地図』(帝国書院)ですね。高校卒業とともにこの本を卒業する人がほとんどですが、本当にもったいない。これは情報の宝庫で、本編の地図だけではなく、巻末の統計データなども、その時代時代に合わせて工夫されているし、非常に興味深い。それらと実際の地図を照合することで、情報が一面的なものではなく、立体的になってくるんです。
私の著作は地形図から検証する、ミクロの視点に立った本が多いですが、「地図帳」をベースにしたこのシリーズは必然的に小縮尺なので、広範囲を俯瞰的に見られるのが特徴です。
第1弾は現代をテーマに、続く第2弾は「100年の変遷」、そして今回、満を持して「鉄道編」として世に送り出すわけですが、3冊を通して読むと、それぞれ私が興味を持ったところを深掘りしていて、なかなか面白いシリーズになったのではないかと。
また今作は地図を通して見えてくる鉄道の歴史や背景を楽しめる内容で、刻々と変化する国内外の情勢と、それを反映する鉄道の歴史をダイナミックにまとめているので、鉄道史の大きな「うねり」のようなものを感じてもらえる、読み応えのある構成になったと思います。
地図帳で鉄道を見ていると、合理的でない、非効率なルートなどを見つけることができる。地図のなかに潜む、鉄道の「なぜ」を見つけ、探求することの魅力とは。
地図帳で鉄道を見ていると、「なぜこの町を通らなかったのか」「こちらの谷をルートに選んだのはなぜだろう」という、地図の中に「なぜ」をたくさん発見することができる。それを調べることが何よりも面白い。
鉄道を新設する際、必ず甲・乙・丙といくつかのルートを候補として検討します。それは地形の観点、経営や収益の観点など、様々な角度から検証され、最適なルートをはじき出す。いろんな算盤の結果として、今のルートがあるんです。そのうえで見てみると、敷設当時としては、ベストなルートを取っていることがわかるんですね。「政治駅」として知られる岐阜羽島駅も、必ずしもそうとは言い切れない、ということは本書でも触れています。
しかし忘れてはいけないことは、当時と現代という時間軸、また国や地域などの空間軸で生活スタイルがそれぞれ異なるということ。例えば、現代では直線的で時間短縮が是とされていますが、明治・大正・昭和初期は、それ以上に多くのエリアを通ることの方が優先された。というのも、結局、現代のように誰もが車を持つ時代ではなく、そうなると鉄道としては多くの拠点に立ち寄った方がいいわけです。ですから現代の視点からすると非効率なように見えることもある。
また諸外国と比較して、日本国内の鉄道貨物の割合が低いのは、海に囲まれた島国であるがゆえに、貨物輸送での海運の割合が多かったという背景があります。一方でアメリカの大陸横断鉄道は、西海岸から東海岸への貨物として重宝された。海運となると、パナマ運河経由になってしまい、時間も経費もかかる。このように鉄道事業における時代や地形の違い、そういうことを調べていくと非常に面白いですね。とはいえ、日本の鉄道においては、それだけが理由ではないですが…。
鉄道は高速道路に勝てるのか
鉄道事業において、日本は後進国になりつつあると今尾氏は指摘する。
日本の場合、鉄道会社は独立採算を求められますよね。高速道路は交通量が少なくったって、あまり批判されないのに。特にコロナ禍になって、青色吐息で廃線が検討されている鉄道会社も少なくない。日本の特に戦後の交通政策は道路偏重型で、国としてCO₂削減に本気で取り組む中で鉄道を位置づけるヨーロッパ諸国とは大きく異なる。彼らにとって、高速道路と鉄道のバランスこそが重要なのです。
そもそも日本の場合、明治・大正・昭和初期に作られた鉄道はほとんどそのままにしておいて、それを平成以降に作られた高速道路に対抗しろというのは厳しい話ですよ。フル規格の新幹線か、もしくは昔ながらのローカル線か、とかそういう話になってしまいがちで、その中間がないんです。
新幹線ができると、並行する在来線は県や市町村が出資する第三セクターになって、稼ぎ頭だった特急の乗客は新幹線へ移ってしまうので構造的に採算がとれない。もっとやり方はあると思うんですが、それが今の日本の鉄道事情です。
世界は「平地」ではない
本書の執筆、調査に当たり、今尾氏自身が何を感じたのか。
日本、世界も含め、鉄道を調べてみると、本当に世界は多様なんだと実感します。グローバル化と言われていますが、それは世界が「平地」になるわけではなくて、実際には山があり、谷があり、海があり、その地理的・政治的・経済的環境に左右されながら、それぞれがそれぞれで発展・衰退を繰り返しているわけで。この本を読んで、ぜひそういう実感を味わってほしい。
また今の発展は、トンネル工事事故など、多くの犠牲のうえに成り立っています。それらの事故を教訓に、その悲劇を繰り返さないよう、鉄道会社は安全性を高めてきた。東海道新幹線が約60年にわたり、死亡事故がゼロということがどれだけすごいことか。その陰でどれだけの人が、たゆまぬ努力をしているか。「何もなかったこと」は新聞の一面には載らない。でも、それはとても偉大なことだと思います。そのことも想像してもらいたいですね。
今尾 恵介(いまお けいすけ)
1959年横浜市出身。地図研究家。明治大学文学部ドイツ文学専攻中退。中学生の頃より地形図と地図帳を愛読。授業で国土地理院発行の地形図に出会い、地形図マニアになる。現在、(一財)日本地図センター客員研究員、日本地図学会評議員、(一財)地図情報センター評議員を務める。『地図マニア 空想の旅』集英社インターナショナル(第2回斎藤茂太賞受賞)、『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み』白水社、など地図や地形、鉄道に関する著作が多数ある。
コメント